パワースポット・神社の疑問
古来から人間は、神さまに重大なお願い事をするとき、捧げものをするというしきたりがありました。
世界中のあらゆる宗教の中にも、このような考えがみられます。
また、豊穣の神さまの恵みで無事に育った作物を捧げることで感謝をあらわす儀式や、人が罪を犯してしまった時に過ちを省みて、贖いの供え物をする儀式もあります。
日本では平安時代の貴族たちが、神さまに祈願をするときにその誠意の証として、生きた馬をささげる風習がありました。
馬は貴重な動物でした。
とくに白馬は、邪気をはらう神聖な獣として、神さまの乗り物とも考えられていました。
ところが貴族には馬を手に入れることが出来ても、庶民には残念ながら本物の馬を買うお金がありません。
そこで人びとは馬の像や絵を変わりに奉納することで、神さまに願いを聞いていただこうとしました。
時代を経て、人びとが奉納した様々なかたちがしだいに統一されてきました。
とくに絵馬を奉納するという習わしは江戸時代に流行して以来、完全に定直したものとなっています。
それで現代の馬を書いた五角形の板、「絵馬」があるのです。

人間同士でさえも、なにかの頼みごとや重要な用事の場合には、手ぶらで訪れるよりも手土産や贈り物を用意するほうが相手には誠意を感じてもらえるでしょう。
人間より大いなる存在である神さまに人間が願いごとをするのは特別なことであって、祈願の際になにかを奉納することは誠意をあらわすための重大な行為のひとつと考えられていました。
ですが必ずしも奉納物がないからといって祈願が聞き入れられないわけでは無いです。
それではより多く供えた者や、裕福な者しか願いを叶えてもらえないのか?と誰もが言いたくなるでしょう。
それは間違いです。真実の信仰はそのようなものではありません。
神さまは人間の理解を超えた全知の計り知れない存在だからです。熱心な心の声は必ず聞き届けられます。