鹿島神宮の鎮座する鹿嶋市は利根川河口にあり、
隣接する潮来(いたこ)市は、かつては江戸への物資の中継地として栄えた町です。
現在は水郷として多くの観光客を集めています。
ご創建は神武天皇ご即位の年と伝えられており、関東屈指の古社です。
「万葉集」には、東国から九州へと旅立つ防人(さきもり)たちが、鹿島の神に武運と安全を祈る歌がおさめられており、遠方に旅立つことを「鹿島立ち」といっています。
鹿島神宮の楼門
鹿島神宮のご祭神である武甕槌大神(たけみかづちおおかみ)は、日本武道の祖神として知られています。神代のむかし、葦原の中國(なかつくに)には、暴威をふるう邪神たちがいたと伝えられており、
これを心配した天照大神(あまてらすおおかみ)は、中國征伐を武甕槌大神に託されました。
武勇に優れた武甕槌大神は、すぐに邪神を平定したので、天照大神は孫である瓊々杵命(ににぎのみこと)を遣わせて、中國の元首としました。
このほか武甕槌大神は、天照大神の命をうけて出雲国に赴き、大国主神との「国譲り」の交渉をした神さまで、剣から生まれた武神ともいわれます。
のちに神武天皇がご東征する際にも、ご祭神・武甕槌大神の降した霊剣で首尾よく天下を平定したとあります。
天皇ご即位の元年、鹿島神宮はご創建されました。
それ以降も歴代天皇の崇敬篤く、崇神天皇の時には太刀、鉾の類をお納めし、
仁明天皇の時代には、「正一位勲一等」と奉られ、奈良の朝には春日野に春日神社を創立して鹿島神宮のご分霊をお祀りになりました。
武甕槌大神は、国家鎮護の武神のため、藤原氏の氏神とされていました。
そのほかにも古来より武家の崇信がとりわけ篤く、
徳川家康により天下統一された時も、家康によってこの神宮を二千石の朱印地とされました。
鹿島神宮奥宮
明治4年、「官幣大社」に列せられました。
壮大な楼門は、水戸藩初代藩主徳川頼房によって造営され、
熊本・阿蘇神社
福岡・筥崎宮とともに、日本3大楼門の1つに数えられています。
いずれも重要文化財になっています。
またこれらの社殿を囲む森「鹿島神宮樹叢」は県の天然記念物で、面積約21万坪に800種以上の草木が茂っています。
また、宝物殿に収蔵されている国宝の直刀は、刀身が223.5cm、日本最古にして最大の剣となっています。
12年ごとの午年には、式年大祭として90艘以上の船団で御船祭りがおこなわれます。
ご祭神 武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)
ご利益・ご神徳 武道上達・ 交通安全・開運・厄除け・地震除け
鹿島神宮の御手洗池
参照
鹿島神宮ホームページ
茨城県神社庁ホームページ
高速バスのアクセス 東京駅八重洲南口 発、高速バス「かしま号」
「鹿島神宮」停留所まで約2時間、¥1,830
電車でのアクセス 鹿島線「鹿島神宮駅」下車、徒歩で約10分
所在地 〒314-0031
茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
TEL 0299-82-1209