大阪市西部の上町台地に鎮座する住吉大社です。
日本全国におよそ2300社存在する住吉神社の総本社です。
さらに下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに日本三大住吉神社の一つでもあります。
初詣のシーズンには参拝者が多く訪れることでも知られており、日本全国のうち参拝者数ベスト10位に入る人気の神社となっています。
毎年、正月3が日の参拝者数は200万人を超えており、昔から現在まで変わらず関西の人々に愛され続けている神様です。
住吉神社の神さまは海の神、和歌の神、農耕の神として知られているためご利益も多岐にわたり、航海安全・船運送・歌道・神楽・五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・開運招福・厄除け・災難除けなどのご利益があるとして信仰を集めてきました。
創建は古く、1800年以上の歴史があります。
西暦200年頃、第十四代・仲哀天皇のお后であった神功皇后が新羅の地へ出兵され、
現在の大阪府堺市堺区七道に帰還された折のことです。
ご神託によって、この住吉の地に住吉三神をお祀りしたことが起源と伝えられています。
住吉三神とは、
・底筒男命(そこつつおのみこと)、
・中筒男命(なかつつおのみこと)、
・表筒男命(うわつつおのみこと)と称される神さまです。
「古事記」や「日本書紀」の記述によると、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、
火神をお産みになるために命を落とされた伊邪那美命(いざなみのみこと)を黄泉の国まで追いかけて行きます。お二人は夫婦でした。伊邪那岐命は黄泉の国まで行かれたものの、妻である伊邪那美命を連れ戻すことができなかったばかりか、そのうえ汚れを受けてしまいます。
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)は、黄泉の国から帰ってきて、
「われは汚れた国に行ってきた。 今は早く身体の穢れを払い清めなければならぬ。」
と言い、筑紫の日向(ひゅうが)の川で身体を清めましたが、(海という記述のあるものもあります。)上の瀬は流れが強く、下の瀬は流れが弱いので、中の瀬で禊をしました。
この禊の時に生まれたのが、
底筒男命(そこつつおのみこと)、
中筒男命(なかつつおのみこと)、
表筒男命(おもてつつおのみこと)と称される神さまです。
これを住吉大神としています。
現在の住吉大社は主祭神、そして住吉三神、神功皇后である息長足姫命を祀っており、
ご祭神はこの四柱の神さまで、四本殿の造りになっています。
第一宮 底筒男命(そこつつおのみこと)
第二宮 中筒男命(なかつつおのみこと)
大三宮 表筒男命(おもてつつおのみこと)
大四宮 神功皇后(じんぐうこうごう)
ご利益・ご神徳 航海安全・船運送
歌道・神楽
五穀豊穣・商売繁盛
家内安全・開運招福
厄除け・災難除け
住吉大神は、神功皇后の三韓征伐のときは力添えをし、やがて凱旋のときには住吉大神の御魂を、国の守り神として祭り置かれたということです。
古代にはヤマト王権の外交や航海を守護し、遣隋使、遣唐使の守り神として崇拝されておりました。
住吉大神が草を抜かずに苗代を作る方法を教え広めたという伝説があり、神功皇后も田を作って五穀豊穣を祈願したと伝えられます。
社殿は現在は大阪市内に建てられていますが、江戸時代までは海に面しており白砂青松な場所だったようです。
和歌の神様として、平安時代には歌の上達を願う多くの貴族などの参拝があったといわれています。
海上交通が盛んとなった江戸時代には海運業、漁業関係者からの信仰も高まりました。
現代では「摂津(せっつ)国の一之宮」として信仰を集めています。
皇室の崇敬深く、長い歴史と格式を誇るいっぽうで、住吉大社ほど庶民に親しまれている神社も珍しいといいます。
地元の人からは「すみよっさん」と呼ばれ、初詣には毎年約280万人の人々が詰めかけます。
頼山陽(らいさんよう)や池大雅(いけのたいが)などの文人たちの灯籠が並ぶ表参道を通り、反橋を渡ると、国宝の四本殿の前に出ます。
江戸時代の造営ながら、太古の様式を伝える住吉造りの本殿となっています。
第一本宮から第三本宮までが縦1列に、第四本宮が第三本宮の横に、すべて西面して鎮座するその姿を、大阪湾に出帆しようとする船団にたとえる人もいます。
反橋(そりはし)
かつては神様だけが渡ることを許される橋だったといういわれがあります。
後醍醐天皇の皇子・後村上天皇は、9年にわたって住吉大社を行在所(天皇がお出ましになるときの仮御殿)とし、ここで生涯を閉じています。
行事について
住吉大社には数多くの年中行事があり、なかでも有名なものが7月海の日、7月30日、7月31日、8月1日の「住吉祭」で、毎年大阪市内で盛大に行われます。
海の日に神輿洗神事、
30日に宵宮祭、
31日に例大祭、
8月1日に神輿渡御がとり行われます。
摂社・末社について
境内東にある御神木・夫婦楠の木のそばの末社・楠珺社(なんくんしゃ)は、商売繁盛の守護神として、毎月最初の辰の日には「初辰まつり」の参拝者で賑わいます。
また末社の「おいといぼし社」には「おもかる石」という有名な石が安置されています。
この石は丸くて人が両手で抱えられるほどの大きさがあり、この石を持ち上げた時に、軽く感じたら願いが叶うが、重く感じたら叶わないとジンクスのように言われています。
毎日多くの人が、願いをかけるために持ち上げています。
松尾芭蕉は元禄7年(1694年) 9月13日に住吉大社の「宝の市」神事にお参りし、
参道で売られた升を買います。
折から体調が悪かった芭蕉はその夜、招かれていた月見の句会には出席せず宿へ帰ったので、その翌日の句席では
「 升買いて 分別かはる 月見かな 」
「自分もついつい一合升を買ってしまった。すると気分が変わって月見より宿に帰って早く寝た方が良いような気がした」と、洒落っ気を利かせたお詫びの句を詠んでいます。
松尾芭蕉はその後、大坂で病臥し、10月12日夕方、51歳で生涯を閉じます。この句を読んだ翌月のことです。
住吉公園には松尾芭蕉の碑が建てられています。
参照/住吉大社 公式ホームページ・大阪府神社庁ホームページ
電車のアクセス 南海鉄道の場合 南海本線「住吉大社駅」から、東へ徒歩3分
南海高野線「住吉東駅」から、西へ徒歩5分
阪堺電気軌道 阪堺線 「住吉鳥居前駅」から、徒歩すぐ
(路面電車 )
自動車のアクセス
【北方面からの場合】
北方面から阪神高速15号堺線に入り「玉出」出口下車直進。
新回生橋交差点左折、塚西交差点を右折し、
路面電車沿いを約3分。
【南方面からの場合】
阪神高速道路4号湾岸線「大浜」出口下車。26号線を北上し、
浜口交差点で右折、長居公園通を東に直進、
安立1交差点を左折し直進後、路面電車沿いに合流後すぐ。
所在地 〒558-0045
大阪市住吉区住吉2丁目9-89
電話:06-6672-0753