奈良県に鎮座する橿原神宮(かしはらじんぐう)は人皇第一代・神武天皇と、
その皇后である媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)をご一緒にお祀りしています。
神武天皇は、彦波瀲武盧茲草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の
第四皇子であり、ご即位前の名を、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)といいます。
武勇に優れていて、父君のご寵愛深く、ついに皇太子に立たせられました。
各地を平定していくのですが、はじめは日向の高千穂宮におり、兄達と相談するには、
「 むかしわが天祖は、この豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国を挙げて、
ことごとく天孫に授け、もって統治せしられた。
然るに天孫より三世、西邊(せいへん)に都を定めて、
東方の国々は皇化に浴し得ない。(いまだ平定されていない。)
されば戦乱止むとき無く、良民の苦しみはひとかたではない。
故にこの折に是非ともこれを統一しなければならない。
思うに中原の地は、わが帝国の中央である、帝国の事業を広め、
天下に君臨にすべきはこの地の他にない。
宜しく都を遷すがよい。 」
と話されました。
神日本磐余彦尊(ご即位前の神武天皇)は自ら舟師を率いて、東征の途に上って行きました。
それから摂津、河内、紀伊の国々を経て、首尾よく大和国に進んで行きました。
この間 前後6年を経て、諸国全く平らぎ、中洲の地は平定して、お力を八方に振るいました。
ここにおいて神日本磐余彦尊は、各地の平定を大いに喜び、天祖の御霊によって畝傍山(うねびやま)の東南・橿原の地に宮室を造ってお住みになりましたが、これが実に橿原の宮であります。
そして大物主命(おおものぬしのみこと)の娘である、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を皇后とし、神殿を建てて八柱の神を祭り、三種の神器を正殿に祀り、これが即位元年となります。
南神門
同2年には諸々の臣たちの功を喜んで賞をあたえ、
4年 鳥見山に皇祖の神霊を祀り、
42年、皇子・神渟名川耳尊(かむぬながわみみのみこと)を皇太子にお立てになり、この方がのちに綏靖天皇(すいぜいてんのう)となります。
神武天皇は、在位76年、御歳137歳で、橿原の宮で亡くなりました。
そしてその翌年、畝傍山の東北の御霊に葬り奉ったのです。
この橿原の地は、神武天皇が、天祖建国の勅命に従って、お開きになったところと伝わっていましたが、明治になってから西内成郷という人が、長年の探求の末に大臣に建言し、詳しく調査した結果、全くこの地と確定しました。
明治22年、神宮をこの地に建てて、翌年の3月、「橿原神宮」と名づけられました。
同時に「官幣大社」に定められました。
北神門
橿原神宮は、一年を通して季節の花や植物の見どころがあります。
桜(3月下旬から4月中旬)
ツツジ(4月中旬から5月下旬)
藤(4月下旬から5月上旬)
水蓮(5月下旬から10月中旬)
花しょうぶ(5月中旬から6月中旬)
どんぐり(10月中旬から11月下旬)
もみじ(10月中旬から11月中旬)
さざんか(11月から2月)
参照
橿原神宮 公式ホームページ /奈良県神社庁ホームページ
電車のアクセス 近畿鉄道 「橿原神宮前駅」下車、中央出口から、徒歩で約10分。
自動車のアクセス 名古屋方面からお越しの場合
「郡山インター」経由で「柏原北インター」を下車。
大阪方面からお越しの場合
南阪奈道路「葛城インター」を下車する場合と、
阪神高速・西名阪「郡山インター」経由で「柏原北インター」を下車する場合があります。
無料駐車場が500台あります。
ご鎮座地(所在地)
〒634-8550
奈良県橿原市久米町934