牛に引かれて 善光寺
とは有名な言葉です。
昔、信濃の国に住む不信心な老女が家で布を干していたら、
大きな牛が現れて角に布を引っ掛けて駆け出していった。
老女は怒って牛を追いかけて善光寺の本堂まで来たが、牛は消えていなくなってしまった。
後から老女は牛が観音の化身だったことに気付き、それ以来 信仰にあつくなり極楽往生したというお話です。
伝説として伝えられているので真実かどうかは確かめようがありませんが、真実かどうかよりも、
理由が何であれ寺にひき寄せられて行けばなにか得るものがあり、深い信仰心がないからといって参拝を遠慮する必要はない。きっかけとしてなにかを得ることに大きな意味がある・ご縁があるということを伝えたいのではないでしょうか。
天皇を死から蘇らせた阿弥陀如来の伝説
ご縁起は大昔のインドから始まります。
月蓋(がっかい)という裕福で信仰心の無い男がいました。
娘だけは特別にかわいがっておりましたが、その娘がインドの国中で流行った伝染病に襲われてしまいました。
国中の名医に大金を払ってみてもらいましたが娘は治らず、最後に月蓋はお釈迦さまを訪ねて娘の命乞いをしました。それを聞いたお釈迦さまは、西方浄土を信じなさいと説きました。
月蓋はその教えにしたがって、西に向かって「南無阿弥陀」を十回唱えました。
するとたちまち、観音菩薩、勢至菩薩をしたがえて阿弥陀如来があらわれ、眉間から放った光で娘の病は治りました。
喜んだ月蓋は、金塊で阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊を一光阿弥陀三尊像(一光三尊とも呼ばれる)をつくりました。
これが現在の善光寺のご本尊となります。
このご本尊はインドから朝鮮に渡って人々を救済し、その後、日本の皇極(こうぎょく)天皇に贈られました。
日本は当時、仏教支持する蘇我氏と、仏教を排除しようとする物部氏が対立しており、天皇はご本尊を蘇我氏にあたえました。
しばらくすると日本中に悪病が流行り、反対派の物部氏が異国の神を祀ったのが原因だと言って寺を焼き払い、ご本尊を難波の堀江(現在の大阪市、または奈良県といわれる)に投げ込んでしまいました。
その後、行政官のお供をしていた本田善光がその場所にさしかかると、水の中から三尊像があらわれて、善光の肩に飛びのって信州へ連れていくよう言いました。
善光が自分の家に一光三尊像を安置していると、善光の家は周りの人々から「善光さんのお寺」と呼ばれるようになっていきました。
その後のある日、善光の息子が亡くなってしまいます。
夫婦で嘆き悲しんでいるのを見て、阿弥陀如来が死んだ息子を地獄から蘇らせました。その息子はこの世へ戻る途中に、鬼に連れていかれる女性に出会いますが、それは皇極天皇その人でした。
息子からその話を聞いた善光は、皇極天皇の命乞いをすると、そのおかげで天皇は生き返ったと言われています。
生き返った天皇は皇極元(642)年、善光親子を褒めたたえ、善光の家の場所に立派な如来堂を建てるよう命じ善光寺となったそうです。
老若男女 誰でも極楽往生させるという明快なご利益
年間700万人と多くの人が参拝に訪れる善光寺は、無宗派のお寺です。
善光寺は身分も男女の別も問わず、誰でも受け入れる寛容なお寺の雰囲気があります。
古くから女性を積極的に救済していた寺でもあります。
誰でも極楽に行けるという明快なご利益は、きびしい修行をし求道に励み、教えがやや高度な寺に比べれば分かりやすく、庶民には親しみやすかったのでしょう。
信州 善光寺
所在地
〒380-0851
長野県長野市元善町491-イ