兄である源頼朝から討たれたとされる源頼朝。
実は義経は生き延びて北の地へ渡っていた?
北海道平取町に鎮座する義経神社は、源義経にまつわる歴史上の謎をのこす神社です。
源氏と平家の戦いで活躍した義経は、兄である頼朝から追われる身となってしまい、
奥州(岩手県)平泉で非業の最期を遂げたとされています。史実では・・・。
だからこそ、岩手県を中心とした東北地方の各地には、義経公をまつり、その無念をしずめるための神社がいくつか存在します。
ですが北海道平取町の義経神社は、そういった由来で鎮座しているのでは無いようです。
義経は平泉では死んでおらず、実は首を落とされた者は義経の影武者であり、蝦夷(現在の北海道)まで落ちのびていたという伝説があるのです。
義経神社は、その伝統的に基づいて幕末になってから建立されました。
日本史上のいくつかの謎の一つとなっています。
社伝によると、義経はアイヌの人々に農耕や船の建造法を教えて、アイヌの人々からはカムイ(アイヌ語で、神や神々しい存在)と呼ばれて慕われていたということです。
境内には義経資料館があり、桜やツツジの名所としても知られています。
毎年8月のご例祭は、平取町観光の見どころとなっています。
義経神社が鎮まる地である日高支庁は、日本有数の馬の産地であることから、
競馬好きな方が牧場行脚の途中に立ち寄ることも多いそうです。
そのためご利益のひとつに賭けごとの運気を高めるということも言われています。
ご祭神 源義経
ご利益・ご神徳 競走馬の守護、賭けごとの勝利
参照
北海道平取町 ホームページ(写真を出典させていただきました。)
北海道神社庁ホームページ
ご鎮座地(所在地)