占いパワースポット 勝常寺 |
権力の腐敗を嫌い 庶民によりそった徳一大師
福島県西部の会津若松市に勝常寺はあります。
大同二年(807年)、徳一大師によって建立されました。
徳一大師は奈良の興福寺で法相・唯識を学び、東大寺で華厳を学び、京の都では高僧との呼び名も高く、さまざまな学問を極めたひときわ聡明な僧侶でした。
厳しさ極まる修行を自らに課し、粗衣粗食に徹した清廉な人柄だったといいます。
その清廉な精神ゆえに中央権力の腐敗には背を向けて、心はいつも救いを求める民衆のほうに向いていました。
東北の地に教えを広めて人々に安らぎをもたらしたいと願い、各地で山岳修行などをしながら、会津の磐梯山のふもとに慧日寺を開いたのが始まりでした。
磐梯山でも修験道の修行を積んでいたといいます。
春は境内の桜が綺麗です。
つづいて「会津五薬師」と呼ばれる五つの寺を建てます。
勝常寺、慧日寺、上字内薬師堂、北山薬師、野寺薬師で、すべて薬師如来を本尊としています。
このほか徳一大師は、福島から茨城にかけて30以上の寺を開いています。
徳一大師は庶民にわかりやすようにと、易しい言葉で仏教を広め庶民からとても慕われていました。
当時ではそのように庶民に教えを説いた僧はほとんどおらず、まして徳一大師はかつて京都の高僧とまで呼ばれた人物でした。
それでも いつもボロボロの衣服を着て、すり切れた履き物をはき、粗末な食事しかとらずに自らを限界まで律した人でした。
徳一大師が庶民を救いたいという気持ちがいかに強いものだったか分かります。
庶民の救済に生涯を捧げ、東北の地で最期を迎えるまで 一度も京の都に戻ることはありませんでした。
徳一大師像 かつての勝常寺は、金堂や三重塔や南大門など七堂伽藍が立ち並ぶ大寺だったということですが、
火災にあって焼失してしまい、その後に一部を再建されています。
徳一大師は法相宗の僧だったため勝常寺も法相宗でしたが、
徳一大師が亡くなった後、13世紀に京都の真言宗の寺・仁和寺の僧だった
玄海僧都(げんかいそうず)が勝常寺の伽藍を再建します。この時に真言宗の寺となり現代に至ります。
占いパワースポット勝常寺のアクセス |
勝常寺の情報 福島県湯川村公式ウェブサイト
ご鎮座地
福島県会津若松市湯川村大字勝常字代舞1737
「福島県観光交流課」から、写真をお借りいたしました。