房総半島の最南端。
千葉県の房総半島は、南から流れてくる黒潮に接しており、温暖な気候や豊かな漁場を持つことで知られます。
安房神社を創祀した天富命(あめのとみのみこと)は、住み良い土地を求めて船で太平洋に漕ぎ出した後、泡で今日定めています。穏やかな土地柄は古代からのものであったことが窺えます。
東京湾を囲う千葉県の「安房(あわ)」は、徳島県の「阿波」につながる伝承を持っています。
神代の昔、阿波(現在の徳島県)の開拓を終えた神武天皇の側近・天富命が、黒潮に漕ぎ出して東国へ向かいます。
たどり着いた新天地を安房と呼び、随行した一族の忌部氏(いべし)ともども現地の発展に大きく貢献したと伝えられています。
主祭神・・・天太玉命 (あめのふとだまのみこと) 日本の全ての産業創始の神。
相殿神・・・天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと) 天太玉命の妃階神。
事業発展・商売繁盛・技術向上
神代に高天原で祭祀を司った天太玉命(あめのふとたまのみこと)の子孫には、ものづくりに長けた人物が多かったといいます。
そのため現在では日本のすべての産業の総祖神としても深く崇敬されています。安房波神社にはそうした天太玉命の神威にあやかるべく、事業繁栄や技術向上などの祈願で参拝する方々が多いそうです。
その安房の一之宮である安房神社は、現在から2670年以上前、
神武天皇の御命令をうけられた天富命が移住してきた際に創建したといわれる
日本屈指の古社です。
神武天皇元年(紀元前660年)、自らの祖父母であり忌部氏の祖神である天太玉命(あめのふとたまのみこと)と天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)を、上陸地の米良浜の男神山・女神山に祀ったのが起源となっています。
その後、奈良時代の養老元年(717年)に、海岸線から1Kmほど上がった現在の地にお移しされました。
同時に本社を上の宮とし、摂社である下の宮を設けて、天富命もご祭神にお迎えしています。
神社の鳥居には数多くの種類があります。
その多くは神明系と明神系に大きく分類されますが、
安房神社の鳥居は神明鳥居と言い、柱が垂直に立っており、笠木も貫も円柱状の鳥居です。
そして色は白で統一されています。
境内は吾谷山(あづちやま)の北東に面しており、道幅の広い参道が続いています。
上の写真は拝殿です。その奥にありますのが上の宮(本宮)です。
拝殿
本殿と拝殿は、数ある神社建築様式の中でも最古の部類である神明造りです。
華美な彫刻等は施さず、屋根上の千木と鰹木を特徴とします。
本殿は明治14年に造営され、釘を一本も使わずに建てられています。
下の宮
ご祭神は天富命(あめのとみのみこと)。