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    占いパワースポット 山寺(立石寺)

五大堂
 
慈覚大師がともした不滅の法灯
 
山形県の立石寺は、通称「山寺」と呼び親しまれています。

開祖は慈覚大師 円仁(796年ー894年)と伝えられます。
円仁は延暦寺の第三世座主(ざす)であり、また遣唐使として、日本の仏教を広く伝えるため大きく貢献された方です。
延暦寺では、最澄の後任として天台宗を大きく発展させたと言われています。
 
その後 みちのくの地へと行脚して、百数十にものぼる寺を建てたと伝えられています。

東北で名が知れている山寺や、毛越寺(岩手・平泉)、中尊寺(岩手・平泉)、瑞巌寺(宮城・松島)も円仁が開山したと寺伝で伝えられています。

そのため東北地方では「お大師さん」と言えば慈覚大師のことを呼ぶと言われているほどです。
いかに東北の人々からの尊崇が篤かったか うかがえます。


山寺の長い石段
 
「不滅の法灯」は最澄が比叡山にお堂を建てたときに灯したことから、
比叡山 延暦寺から分火して山寺に法灯を燈したといわれます。

山寺の法灯は、1200年ほど灯り続けています。
(一時期、伊達氏と対立する天童氏によって一山焼き討ちにされていまい、法灯が途絶えた事もありました。)

その間 、今度は 比叡山 延暦寺が織田信長によって焼き討ちされた時には、山寺から法灯を延暦寺に運んで灯りを燈しています。


仁王門
 
801年、坂上田村麻呂は、
当時の東北を支配していた蝦夷(えみし)を討ったことで 朝廷は東北を統治し始めます。

そのため東北にも次々と寺が建てられていきます。

当時の仏教は国家仏教の時代であったので、庶民救済のための寺ではありませんでした。

新たな支配地に中央からの文化や体制を広めていく上で寺が必要とされました。さらに滅ぼされた者たちの祟りを鎮めるための寺でもありました。

それでも時代が変わっていけば国家仏教であったころの影響も薄くなっていき、その土地に深く根付いて人々からも信仰を集めるようになっていきます。
 
円仁は比叡山 延暦寺で亡くなり埋葬も比叡山にされたのですが、
円仁は自分の弟子たちに遺言で、
「比叡山は師である最澄の山なので、自分のことは山形の寺に葬ってほしい」
と残していました。
円仁は最澄の一番弟子であり、師を心から慕っていました。

この遺言を尊重した弟子たちによって、比叡山から山形に円仁の一部分を葬られたといいます。
 
 
 根本中堂
 
東北の比叡山とよばれる山寺
 
山寺は宝珠山(ほうじゅざん)のふもとから山頂部にかけて開山されており、山寺という呼び名がしっくりきます。

この山寺の石の階段は千段余りあります。
途中に休憩所もあるので、足を休めることができます。
この石段を一段のぼるごとに煩悩が頭から消えていくといいます。
 
俳句で有名な松尾芭蕉もこの寺を訪れており、
「おくのほそ道」の中で、

「山形に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、ことに清閑の地なり」

と記しています。
そしてあの有名な一句を残しています。
 
「 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 」



山寺の根本中堂には、延暦寺と同じように薬師如来像が安置され、
そこに不滅の法灯が灯り続けています。

この薬師如来像は円仁作と伝えられており、秘仏として大切に納められています。


山寺の五大堂
 
       占いパワースポット山寺のアクセス・交通
 
 
山寺(立石寺)のホームページ
 
ご鎮座地
〒999-3301
山形県山形市山寺4456-1
 
電車の場合
JR「山形駅」から乗り換え・仙石線「山寺駅」下車


お車の場合
山形駅から車で約30分
山形空港から車で約30分
天童温泉から車で約15分
上沼温泉から車で約40分
蔵王温泉から車で約1時間


山形観光ポータルサイト」から、山寺の写真をお貸しいただきました。
この場を借りてお礼申し上げます。
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