占いのパワースポット 神田明神 |

東京の街を守り続ける 江戸総鎮守
「神田明神の勝守り」といって、江戸っ子は昔から勝負に勝つ神さまとして親しんできました。
現在でもスポーツはもちろん、入試、取引、裁判などの霊験で定評があり、巨人軍前監督の長島さんも勝利の祈願に訪れています。
正式名称は「神田神社」です。
1300年以上にわたり江戸の街を守っている神田明神は、東京108町会の総鎮守といわれます。
1300年前から、刻々と移り変わっていく東京の街に堂々と建ち、静かにこの地を鎮護しています。
東京の人々からは「明神さま」と呼び親しまれております。
ご縁起は天平2年(730年)、大己貴命(おおなむちのみこと)の子孫である真神田臣(まかんだおみ)によってご創建されたのがはじまりです。
その後、天慶の乱で知られる平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が立て続き、将門公の神威として人々を恐れさせたため、真教上人によって手厚く御霊を相殿にお慰めして、延慶2年(1309年)、神田明神にお祀りしています。
それ以来は、将門公の神威とされる天変地異が鎮まったそうです。
戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名だたる戦国武将たちによって篤く崇敬されました。
慶長5年(1600年)、徳川家康公が天下を賭けた「関ヶ原の戦い」の前に霊夢を感じて神田明神にまつられた平将門の霊に戦勝祈願で祈祷をしたところ、見事に勝利し天下統一を果たしたことから、
これ以降 徳川将軍家より関ヶ原の合戦に勝利した日にあたる9月15日を縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うようになりました。
「勝守り」も、この家康公の故事にちなんでいます。
神田明神は何といっても「神田祭」、江戸っ子の血を湧かせます。
9月15日の例祭は江戸時代は「天下祭り」と呼ばれ、江戸の諸大名に命じ、
飾神馬、長柄、足軽を出させて巡行する神田明神を警護させました。
祭りの行列が城内に入ることも許され、将軍も上覧したそうです。
現在でも重要な毎年の行事として執り行なわれています。
江戸幕府が開かれると幕府の尊崇の篤い神社となり、
元和2年(1616年)、江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に移されました。
それ以後も、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで崇敬篤く現在に至ります。
明治時代には、とくに明治天皇のご崇敬篤く、
社名を「神田明神」から「神田神社」に改められました。
東京の守護神として、「准勅祭社」「東京府社」に定められています。
境内摂社には日本橋魚河岸の開祖・森孫右衛門をまつった水神社や、籠職人が信仰した籠祖神社などがあります。
ご祭神一之宮・・・大己貴命(おおなむちのみこと)
国土経営・夫婦和合・縁結びにご神徳があります。
二之宮・・・少彦名命(すくなひこのみこと)
商売繁昌・医薬健康・開運 招福にご神徳があります。
三之宮・・・平将門命(たいらのまさかどのみこと)
除災厄除け・学問にご神徳があります。
電車の場合
JR中央線・総武線 御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分
京浜東北線・山手線 秋葉原駅(電気街口)より徒歩7分
東京メトロ(地下鉄)東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分
東京メトロ銀座線 末広町駅 より徒歩5分
東京メトロ日比谷線 秋葉原駅 より徒歩7分
バスの場合
都バス茶51駒込駅南口←→御茶ノ水線 神田明神徒歩1分
首都高速
首都高速都心環状線 神田橋出入口
首都高速1号上野線 上野出入口
所在地
〒101-0021
東京都千代田区外神田二丁目16-2