赤間神宮は、阿弥陀寺紅石山(あみだじこうせきざん)の反復にご鎮座しています。
下関駅からは東の方角の地にあり、ご祭神は代八十一代の帝・安徳天皇です。
安徳天皇はお名前を言仁(ことひと)さまと言い、高倉天皇の第一皇子にあたります。
母君は建禮門院平徳子(けんれいもんいん たいらのとくこ)さまです。
治承2年に皇太子となり、同4年にわずか3歳の若さでご即位され、安徳天皇となります。

寿永2年(1183年)7月、安徳天皇は平家とともに京都の都を出て、
源氏と平家の合戦のために、しばしば皇居を替えられました。
寿永4年(1185年)3月、西へ西へと追われた平家一門は、
壇の浦で最後の戦を源氏勢に挑みます。
安徳天皇は、このときわずか8歳でした。
壇ノ浦の戦いに身を投じて、ついに短い生生涯を終えてしまいました。
ご在位は5年でした。
しかし合戦は、海峡の潮流を味方につけた源氏が勝利をおさめ、平家は滅亡しました。
これより日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと移り変わっていきます。
赤間神宮は、明治維新のはじめ長門国赤間関(ながとのくに あかまのせき)の阿弥陀寺の境内に、安徳天皇のご尊像を安置するご影堂を改修して「天皇社」と名付けられたのがはじまりでした。
最初は質素な社殿だったのですが、木戸孝允(きどこういん)がこの地に参拝してから、大いに改築の必要を感じたと伝えられています。
それより間もなく、明治8年の10月7日、赤間神宮は「官幣中社」と定められて、地名により「赤間宮」と呼ばれることになりました。
現在は赤間神宮と呼ばれています。
赤間神宮の隣には、安徳天皇のお墓があります。
また、平家一門のお墓もお祀りされています。
毎年5月には、源平まつりや先帝まつりなどの「海峡まつり」がおこなわれます。
毎年7月15日には、「耳なし芳一祭」がおこなわれます。
琵琶法師は、俗に耳なし芳一と呼ばれています。
盲人で演奏の上手だった琵琶法師は、平家の亡霊に壇ノ浦の合戦の曲を弾いてほしいと取り憑かれることとなります。
取り憑かれていることに驚いた和尚は、琵琶法師の全身に経文を書きましたが、耳だけは経文を書いていなかったため、亡霊にもぎ取られてしまったが命は助かったという物語があります。
琵琶の音色が聴ける珍しいお祭りです。
赤間神宮の水天門
昭和33年、世界唯一の竜宮造りでご造営された、壮麗雄大な水天門です。
徳富蘇峯翁によってご奉建され、徳富蘇峯翁はこの門を、
「 玉体を水底に鎮め給ひしも、御霊は天上にお在しまさば、
此の神門を『水天門』と申し奉る所以なり。」と仰せになりました。
ご祭神であらせられる安徳天皇は、水天皇大神として奉られております。
境内内にある大連神社
境内内にある 紅石稲荷神社の鳥居
参照
赤間神宮 公式ホームページ
山口県神社庁ホームページ
電車のアクセス
JR「下関駅」下車、バスに乗り換えで約10分。 下関駅から自動車で約5分。
JR「新下関駅」下車、バスに乗り換えで約20分。 新下関駅から自動車で約10分。
ご鎮座地
〒750-0003
山口県下関市阿弥陀寺町4-1
TEL 083-231-4138