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     占い・パワースポット 上杉神社
 
「義に篤い武将」上杉謙信公・「聖人」上杉鷹山公を祀る

戦国武将として有名な藩祖の上杉謙信公・第九代藩主の上杉鷹山公をお祀りしています。
上杉謙信は軍神とまで言われ、義理堅い人格からも人々の崇敬の対象となっています。

 
ご祭神
 上杉謙信公( 上杉輝虎 )
 上杉鷹山公
 
ご利益・ご神徳
 勝負運・合格祈願・必勝祈願・産業開発・出世開運
 
上杉謙信(上杉輝虎)公像
 
 天正6年(1578年)、上杉謙信が越後春日山城に49歳で没すると、
遺体は城中不識庵に仏式でまつられました。
二代・景勝は、会津から米沢に移封されたとき、謙信をまつる祠を米沢城内に移しました。
 
明治4年になってからその祠を神祭に改め、米沢藩を立て直した九代目名君・鷹山公を一緒にお祀りして上杉神社としたのがはじまりです。
この後、鷹山公は別の場所に奉祭されるようになりました。
 
明治9年まで上杉謙信のご遺骸はこの地、米沢城跡(現在の上杉神社)にありました。
現在は上杉家御廟所に移されています。
 
上杉謙信の故郷は越後です。その後、米沢に移り住んだといわれています。
謙信公の像は、故郷である越後の方角を向いています。

上杉鷹山公とはどのような人だったか
 
1751年生まれ~1822年没。
第九代米沢藩主。(藩祖は上杉謙信)
本名は治憲(はるのり)。

豊臣秀吉の時代には会津百万石を領していたが、「関ヶ原の戦い」で西軍の石田三成に敗れたため、東軍の徳川家康によって米沢に国替えされ、三十万石に厳封されることになります。
そのため米沢藩の財政は厳しい状態となり、藩政の確立に非常に苦労しました。
鷹山は17歳で上杉家の養子となります。
学者のもとで学び、口数の少なめで、熟慮を重ね、孝心に厚い少年として推されました。
 
藩主となった当時は十五万石にまで減っており、それでいて家臣たちのしきたりは百万石の時のままの振る舞い、格式のままでした。
藩の負債は数百万領に及んでおり、領民は税の強引な取り立てによって他国へ逃げるような状況でした。
さらに米沢は出羽の南部に位置し、海に面してもおらず、農産物を生産する地質が悪く天然資源に乏しいこともあり、特に貧しい地域でした。
領地750平方マイル、領民10万余の大名であるのに、藩の全てを動員しても五両の金子を用意できないという惨状でした。
このような絶望的な状況で藩を立て直すことが少年 鷹山の重すぎる使命でした。
 
それから藩政の改革に努力し、大名の鷹山みずから節約、倹約に励み、
貧しい人々に寄り添うことを忘れず、財政改革・殖産興業・新田開発などの政策を行って奇跡的にも藩政を立て直しました。
その超人的な手腕は、視察に来た有名な儒学者の倉成竜渚から「聖人の統治法」と評されました。

米沢の名産品である米沢織は、鷹山が桑・青麻の植栽を推奨して小千谷から縮みの技術を導入したことに始まります。後世に多大な恩恵をもたらしました。
 
藩主となって数年が経ち様々な改革が軌道に乗りはじめたところで、鷹山は教育に力を尽くし、閉校となっていた藩校「興譲館」を再設立し、地域の教育に大きく貢献しました。興譲館とは、謙譲の徳を興す大学という意味で名付けられました。
創立もほぼ1世紀が経ち、鷹山の藩校は全国の模範となり、現在もなおその名を伝えています。わが国における最も古い学校の一つと言われております。
 
大変な困窮状態だった藩政は、一声をかければ一万両が揃うようにまでなりました。
鷹山は、快楽主義的な幸福主義は好まず、家臣たちを有徳の士に育て上げようとしました。人々へ自ら模範を示すことで「人の道」を導き、最期まで領民に愛され慕われました。70代で安らかに息を引き取った時、人々は階層を問わず優しい祖母を失ったかのように泣いたといいます。


上杉鷹山公の格言。誰もが知っている言葉ですね
 
 
社殿は、旧米沢城本丸の奥御殿跡に建てられています。
大正8年(1919年)、本殿は焼失してしまい、現在の本殿は大正12年(1923年)、文化勲章受章者・伊東忠太氏により設計されたものです。
伊東忠太氏は米沢市出身で、明治神宮や平安神宮などの神社建築の第一人者として名高い方です。
特に平安神宮は、奈良時代の政治の中心・太極殿をそのまま現代に再現した設計となっています。

「宝在心」これは、上杉謙信公 家訓十六箇条に発するものであり、
日々の生活の中で、神社社頭を訪れ、十六箇条を心に描いて気持ちを引きしめれば、おのずからご利益も訪れるという意味です。
 
宝物殿には、祭神・上杉謙信の遺品を主として、二代目・景勝、直江兼続、鷹山の遺品、遺墨などがあります。
平安時代より江戸期にわたる絵画、書跡、刀剣、甲冑、武具、仏器、服飾などをそろえ、重要文化財132点、重要美術品4点などを含む収蔵品は、優れた美術工芸品として、また貴重な史料として主時を語り伝えています。
なかでも、刀身に降魔の密教呪禁を梵字で刻んだ禡祭剣(ばさいのつるぎ)や、平安時代の精緻な毘沙門天像などは一見の価値のあるものです。
 

上杉謙信の命日である4月29日(旧暦3月13日)に例大祭が行われ、
毎年5月3日までの期間は、恒例の「米沢上杉まつり」が開催されます。
 
冬には、雪の夜に映える雪燈籠祭りが2月第二土曜・日曜に行われて雪国の幻想を感じさせます。


上杉神社の雪灯籠祭り





上杉神社の周囲は、松が岬公園になっています。
春は桜が見事です。

     占いパワースポット上杉神社のアクセス・交通
 
  
山形県神社庁ホームページ
http://www.yamagata-jinjyacho.or.jp/
 
アクセス
JR「米沢駅」から、車で約10分、 徒歩の場合は約20分。    
     「南米沢駅」から、徒歩で約10分。
 
米沢駅発車バス、「上杉神社前」で下車、そこから徒歩3分。

高速道路の場合は、東北自動車道「福島飯坂インター」から、国道13号を米沢方面に進み、車で約15分。
 

参拝時間
開門 午前6時(4~11月)、午前7時(12~3月)
閉門 午後5時
 
ご鎮座地
山形県米沢市丸の内1丁目4-13
電話 0238-22-3189

 
「米沢観光nabī」から写真をお借りしています。

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